文学から生まれる科学(物理編)~サイト・本のご紹介と映像・音楽の世界~
①自然とお友だちになる時
ここでは、作家さんのエッセイより、その文学的な様相から科学の想像力を生みだす
過程を記いてみたいと思います。
~エッセイ「そっと耳を澄ませば」より~
「”雨”という日の憂鬱なイメージが、”雨音たちのたのしい会話”として感じられる
ようになるまで、、。」
=解説=
この本では、自然への印象が、マイナスからプラスへ転化するとき、自然から
”いのち”を分けてもらえるようになると、伝えて下さっているように思われます。
その科学文学での意味は、自然現象に対する苦手意識が、”好き”に変わる時、
自然との絆を回復し、自然のこころと”対話”できるようになり、
そこから(科学的な)想像力が生まれるようになる、ということになるのではないかなと、
考えられます。
(化学的、物理的なイメージ:)
・雨 =”重さ(重力を体感)” 、
・雨音たち =”音(心地よく聴こえるという経験)”、
・たのしい会話 =”アルケミー(心理術)(内なるこころの化学反応を実感)”、
・感じられるようになる =”ストーリー(自然現象と心理的な変化がシンクロし、
人生観が変わるという、文学的な文脈)”
②科学者にみる、文学的な原体験からの科学的想像力の形作られ方
ここでは、夏目漱石氏と寺田寅彦氏の交流を通した、文学の科学的想像力について、
記述されてあったサイトをご紹介させていただければと思います。
~夏目漱石と寺田寅彦~・夏目漱石の文学と科学
「文学の行き詰まりを救ったのは意外にも科学!」さん、より抜粋
寺田寅彦:研究上の業績としては、地球物理学関連のもの(潮汐の副振動の観測など)があるいっぽうで、1913年には「X線の結晶透過」(ラウエ斑点の実験)についての発表(結晶解析分野としては非常に初期の研究のひとつ)を行い、その業績により1917年に帝国学士院恩賜賞を受賞している。また、“金平糖の角の研究”や“ひび割れの研究”など、統計力学的な「形の物理学」分野での先駆的な研究も行っていて、これら身辺の物理現象の研究は「寺田物理学」の名を得ている。 寅彦は自然科学者でありながら文学など自然科学以外の事柄にも造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を多く残している。その中には大陸移動説を先取りするような作品もある。「天災は忘れた頃にやってくる」は寅彦の言葉といわれるが、著書中にはその文言はなく、発言録に残っている。
寺田寅彦こそ、漱石の小説に使われている科学のネタを教えた人でした。寅彦は漱石が熊本の第五高等学校で教師をしていた時の教え子になります。寅彦は漱石先生が大好きで、しょっちゅう俳句を習いに家に遊びに行っていたそうです。漱石はその頃せっせと俳句を作っては、正岡子規に教えを乞うていました。寅彦が東京帝国大学入学のため上京するときには、正岡子規に手紙を託しています。その後も亡くなるまで漱石と寅彦の親しい交流は続きます。漱石は小説に寅彦をモデルとした人物を、大いに登場させていますね。寅彦あっての水島寒月であり、野々宮宗八なのです。
③文学作品にて、それを科学的な感覚について文学的表現で、体感してみる
ここでは、さきほどご紹介の、「そっと耳を澄ませば」の”雨”のイメージを、感覚的な科学の感受で、よりよく身につけていただくために、いくつか詩を
ご紹介さずかりたいと思います。
これを読むことで、科学(化学・物理)的な感覚を、文学的な体験を通して、実感して
いただければ、と思います。
(のちほど、解説を追記させていただきます。)
まず、このピアノの音楽を聴かれてみてください。
日本のアーティストの方です。この作品で、”雨”という、つめたく重たいけれど、土を育て植物を生み出してくれるという、”いのち”がくれた、植物が運んでくれる
ささやかな幸せなど、表現を下さっている と、思われます。
お聴きされてみて下さい。

日本のアーティストの方で、ピアノとフルート、ドラムなどから構成された音楽と思われます。
植物達と、日常を過ごす人達との心象などを、
詩情溢れるメロディーを弾いて下さっている と、思われます。
④この章の作品を通じて、その解説
今回の作品達を通じて、ちょっと、自然との”つながり”を実感されてみて頂けたのかな と、思われます。
”雨”などは、地(固体)と空(気体)を、”つなぐ”、液体(海から蒸発することで、
空を上り、上空で冷やされて、地上に降り注ぐ、いのち)と考えられます。
雨・川・海などは、その”水の循りの集い”などのため、生命を生むことになったと、
考えられると思われます。
雨などは、地と、空など、と の ことなのかなと思われます。
地上の、”物質”は、
様々なことが”不可分”であったと、考えられると、思われます。
(参考:宇宙のはじまりは、点(または然的創出事)からという理論と、量子相宇宙連携理論)
様々なことが、つながりからはじまり、
そこから、高密度・高温度の状態より、その後、空間を広げ(選択肢を広げ)
ていくことで、様々なことが散らばっていく時、様々なこと自体の熱が冷めていくことで、
”物質”を作り出すことになったのではないかと考えられます。そこで、それら物質達が結合・分離を
繰り返すことで、様々な”物質”を形つくって、多様な世界を作って行くと考えられます。
それらの”様々なこと”は、行くゆく、地球を形つくって行き、生命を育む
揺り籠としての地球を形づくって行くのではないか と、考えられると、思われます。
つまり、”物質”は、命を生む、”組み込まれた”こと、だったのではないか と、
考えられると、思われます。
”物質”は、ひとつだけを観ていては、場は理解できないと、思われます。
多種系(多様系)という、たくさんのこと・ひとが、ある条件(”場”の制約)で、
様々な角度から観察することで、
場として理解することが出来るようになって行くかなと、考えられます。
その条件というのが、物質の持つ”性質”と考えられます。
つまり、
「重さ(重力)」、
「対重力としての電気力(プラスとマイナスという電気状態を持つ、陰と陽を表現する
ことで世界の多様性を表現することになる性能)」、
「時間(物質、場、生命の底から続くこと、としての”持続力”)」、
「空間(様々なものが自由でいられる選択肢を持ちうる、という”可能性”)」
という、4つの”力・性能”です。これらを物理学では、
基本単位と呼ばれていると思われます。
=ちょっとここから脱線=
これらの”力・性能”は、科学史ですと、ニュートンらにより明確に見出されていると
考えられています。ニュートン自身、キリスト教的な世界観と、
天体術を駆使することで書かれた、「古代年代記」という書を
残されているようです。(彼の代表作、「プリンキピア」では、月が地球の海の潮汐現象を
及ぼす(地球上での天変地異を引き起こすトリガーのこと等)ということなど、
かなりのページを割いて計算論述されているようです。)また、キリスト教というのは、
本当のカトリックなどの教えを調べてみると、遡っては、エジプトの文化・文明などを
引き継がれているように思われます。ちょっと脱線だったのですが、
”科学”というのを生み出すこととなったのは、昔から育まれてきた文化・歴史を人々が
継承することを出来たことよりと、思われます。それら歴史で、
それこそ書で、そこまで現存のない と、思われますが、世界中の古代遺跡では、
いま、天文学のための施設や、古代の物質科学の考えであるピラミッドなどが
残されています。私達は、それらを解読できないだけで、いま、
そのこころの底で、それらの考えを潜めている、
そう思えます。
それら文化の考えを継承する、つなぎ続けるとよいと、思われます。
=脱線終わり=
話を立て直すと、物質の持つ”力・性能”は、それぞれの時代・地域ごとで、
その見出される”性質”が異なっていたと、思われます。
(そのため、その言葉や考えは、その通りで継承されることは無かったと、思われます。)
そうすると、時代ごとで、”物質”に見出す”性質”が違ってくると、思われます。
いつの時代、”見出す”ということでは、文化的・歴史的な”制約”がある、
と言えると、思われます。
そのため、さきほど説明の出来た、物質の4つの”力・性能”というのは、ひとつの物質の性質
を研究することで出来た、そのような世界観で生まれた”性質”なのだと考えられると、思われます。
「重さ(重力)」、「反重力という電気力(プラスとマイナスという電気状態を
持つ、陰と陽を表現することで世界の多様性を表現することになる性能)」、
「時間(物質、場、生命の底から続くこと、の”持続力”)」、
「空間(存在などが自由でいられる選択肢を持ちうる、という”可能なこと”)」
ということは、
これらだけでは、様々なこと の”場”の”性質”を説明できないのではないかと、考えられます。
そこで考えられるのが、”エネルギー”という概念と考えられます。
”エネルギー”は、運動エネルギーと位置エネルギーとの2つがあり、
”エネルギー”という概念は、2つ以上のが存在することで、
存立しうる、ということになるのではないかと、思われます。
その”エネルギー”が、自然界で、どのような現象で存在しているのか、
観て行きたいと思います。
ご紹介の文学作品達の、話を振り返りたいと思います。
「”雨”というのは、地(固体)と天・空(気体)を、”つなぐ”、液体(海から蒸発し、
空へ上り、上空で冷やされて、地上に降り注ぐ、いのち)と、思われます。雨・川・海などは、
その”水の循りの集い”など故に、生命を生むことになったと、思われます。」
雨は、太陽の光のエネルギーで暖められ、水蒸気となって、蒸発することで、
空を上っていき、そこで冷やされ、雨という液体となって、
地上を再び降りて行くと考えられます。そこで、土となる地を肥やすことで、植物を生み、
時々、ふたたび川、海を巡り戻っていくと考えられます。
様々な物質はつながり、循環していると考えられます。その役割を、
”雨”などが担っていると考えられると、思われます。
”雨”などはいのちを育むことで、”エネルギーの変換循環サイクル”の
ひとつと考えられると、思われます。
あめは、それぞれ(地・空など)が、
生命をはぐくむ循環者だと、考えられると、思われます。
様々なことで、交換の循環があることで、”雨”なども降る、ということ と、思われます。
様々なことが、循環して、雨という”いのち”の持たらされうる、ということになると、
考えられると、思われます。
だいぶん、話が遠くなってきたので、ここちょっと振り返ってみたいと思います。
”雨”などの、詩然という質などで、その物理的なイメージの、お話を出来たのではないかと、思われます。
それは、生命を育む、そう、生命などのことより、物質というのは生まれ、その
”性質”を形作って来たのではないか と、思われます。その生命などで形作られた物質の集合体である”地球”で、
雨など物質循間のエネルギーを、たがいと交換・循環することで、生命を生むことと
なったと、思われます。
(最近の宇宙論では、意識を考えることで、生まれる宇宙が変わり、物質の性質の
パラメータ(物理定数)の値など変わってくるのではないか、という理論など考えられています。
また、物質内外の循環を、最とする落ち着いた軌道で、
様々と、巡り行くのかな ということを、物理方程式で形作り、
それより様々なことの軌道のことで解を得る、”最小作用の法則”
という特殊な方程式が考えられてます。いま現在の物理学の方程式での解は、
様々なことが、この微分方程式で解法され、
様々な現象は、落ち着いた軌道を描き、
様々と収循されていくのかな、という解を得ていると、
考えられるかな と、思われます。
それは、またの機会でお話を出来ればと思います。)