ⅰ―④日本のことば、西洋のことば
前項で、はじめから消化・解決できるような言葉をつかっていたのではなかったのではないか と、思われます。それは、天と地、生と死という、とりとめのない事実と、どう向き合っていけばよいのでしょうか、そう、うまく表現すればよいのかを考えること と、思われます。では、どうすれば、うまく解決できる言葉を考えられるようになるでしょうか。それは、考え方で、他者と、そのこころを感じつつ、暖か言葉を考えられればよいと思われます。つまり、その人のこころ・考えをくむ(汲む)ことかなと、思われます。
ⅰ―⑤日本と西洋のこころ
ここで、日本語と、学問の言葉である西洋人の言葉との間を考える時、はじめ、日本と西洋の世界を考えてみたいと思います。 日本という国は、歴史から、豊かな自然など、かつさまざまな自然災害など多かったため、そのゆたかさから、よわいがやさしいこころ。そして災害の多さから自然を畏怖するこころを持ったと思われます。
よわいかもしれないけれど、やさしく、穏やか、かつ個々の自然・生き物のいのちを大切と思う気持ちがあったのではないか、と思われます。 一方、西洋という国は、自然がやせているため、その厳しさゆえ、自然環境を生き抜くとき、人との争いの中から、人の内側に輝く内なる光を見出すという高みへ、、そこから
人の内面だけでなく、自然の掟(科学)を見出すまで到達することとなったのだと思われます。
つまり、西洋人のこころとは、つよいかもしれないけれど、ものごと、人の内なる光(力)を見出すまで至った、そのとおとい(貴い)こころなのではないか、と思われます。
このように、日本人は、様々ないのちを愛づる気持ちを、西洋人は、自らの内なる力を持つ貴いこころを持っていると、考えられます。