Ⅰ.座禅
ⅰ.なぜ座禅をするのか
(手段としての座禅)
ⅱ.座禅の作法(組み方)
ⅲ.座禅
(こころを落ち着かせ、
ゆとりを生む方法)
Ⅱ.考え方
(本質の探し方)
ⅰ.直観的な捉え方
ⅱ.宗教的な考え方
ⅲ.学問的な考え方
Ⅲ.まなぶということ
(学習法,
座禅を基礎に)
(底への到達)
ⅲ.鼓動との対話
ⅳ.身体との対話
(身体を充実化する)
(禅的感性)
ⅵ.自分とその地平
ⅶ.自分らしく
Ⅲ-ⅳ.身体との対話(身体を充実化する)
からだの鼓動との対話で、肯定的な自分、否定的な自分が観えてくると思います。肯定的なところは大切とすればよく、否定的なことでは、ある程度、理解していくことができたなら、そこからは「認め合う」ということを考えるとよいと思います。
つまり、そう考えること と なって行くことについては、
力で抑えようとするよりは、こころと身体の調整役での意識が、たがいと認め合い理解すると、
不思議と、こころとからだの間の葛藤が晴れると思います。
そう、「認め合う・たがい と交換的な理解をする」力と、そこから好転させていこうとする肯定的な部分とが
有機的なかたちとなって行くことができれば、
自然と、こころと身体が元気となって来て、理解力(たがい と考えて了解する力)のある自分を見つけることができるのではないか と思います。
Ⅲ-ⅴ.まわりを感受する力(禅的感性)
前部までは、意識の内面を深くすることを考えてきたと思います。ここでは、そこで得られたこころと身体など、意識を、そとの世界に向けて開いていこうとする段階のことのお話を出来ればと思います。
ここまで様々な意識を柔軟とすることができれば、あとは、そとの世界をどのように考えていけばよいのかということになって行くと思われます。そこで再び考えるのがよいことが、からだの鼓動のことです。鼓動は、その周波数(心臓の鼓動数)など や、その つよさで、血および体温などの こと と なって行く と、思われます。座禅を組んでいる時、周波数(鼓動)が関わって来ると思われます。(意識を底とする行為は、周波数(鼓動)を、意識の底深となるような低周波の脳波(α波など)を考えていくことと同義と思われます。)そとを感受するとは、その身体の鼓動数を、そとの出来事とおり合いをつけることになると思われます。そして、その折り合いのつけ方として、他者と対話することより、はじまると思われます。 他者と向き合うということとは、自身の周波数(鼓動数)と他者の周波数(鼓動数)とを理解することで、気づいていくとよいのではないかなと思われます。つまり、自身と他者の鼓動数とに調和をとる(ちょうどよい間合いをとる)ということとなって行くと思われます。(いい方を変えれば、他者と共存していくということと思われます。)そとの世界を、つないで行くため、この他者と了解された鼓動数をつくれれば、世界は、とても穏やかで、調和のとれた有機的共同体を感じられるかな と、思われます。